サトリと覚醒

とある転換の予感

もののあわれについて

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彼岸花

もののあわれについて

執行草舟『生命の理念』Ⅱより p160161

 

『もののあはれ』とは愛の悲哀のこと。つまり誰かのために身を捧げられるかどうか、献身ができるかどうかと言うこと。そしてそこへ至る道としての恩と義理がある。それを支えているのが「もののあわれ』である。

恩と義理は日本の根底にある文化。

西洋はキリスト教があったので、神の概念が人々の喜怒哀楽の情感を育んできた。その神の概念というものも、実は恩と義理の概念。

 

西洋も東洋も、自己犠牲と献身を人間の最大の美徳としているのは、それがなかったら人間感情の喜怒哀楽の発展がないということが歴史的な事実となっているため。

 

 

快・不快は電気信号。それに振り回されるのは子供であるが、現代の日本人はこうした子供のままでいる人が数多くいる。

トーマス・ホッブスが市民論において民主主義社会の最大の悪を幼児性に置いていたことが思い起こされる。その幼児性と対立する心情である喜怒哀楽と言うのは、ただの電気信号ではなく精神なのです。だから感じれば感じるほど蓄積し、いくらでも大きく巨大に育っていく。神経の電気信号のようにすでに性来備わっていて固定されたものではなく、精神と言うものは育っていく。だから、文明社会を支える心情となれる。

 

2020925日金曜日メモ