サトリと覚醒

とある転換の予感

マインド(思考)優先からスピリット優先への転換

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7月、突然〈スピリチュアル〉への関心が再燃しだした。

(再燃というのは、はるか昔、1980年代の精神世界ブームの頃、ルドルフ・シュタイナーやグルジェフなどを読んでいたので)

 

精神世界やスピリチュアリズムと疎遠になり始めた理由は、〈引き寄せ〉などのような、現象的な現実をよくすることにフォーカスした〈スピリチュアリズム〉が主流になり、魂の成長や調和的発展を志向する実践哲学としての〈スピリチュアル〉ではなく、不思議系の話をネタに、完全に〈マーケット化〉してしまったように感じていたから。

……なのだが、youtubeで並木良和さんの話を聴いて「これまでのスピリチュアリズムと違う何か」を感じた。

 並木さんの目玉は、現実の仮象性と現実を作り出している主体は内なる自己以外にない、という見方にフォーカスして、望まないネガティブな現象を生み出している自分の心理パターンや潜在意識に燻っているネガな意識などを実際に外していく〈統合〉というワークをメインにしている。

 つまり、現象をよくするために〈統合〉するのではなく、〈目醒める〉ために〈統合〉するのであり、そして日常全てを〈統合〉に活用できるとまでと言い切っている。

 

 なぜ、今、人間は〈目醒めること〉が必要不可欠な緊急の課題なのか?

 要するに、並木さんもワーク参加者も、個人の願望実現などはあまり眼中になく、覚醒は人類進化の必然であり、一定数の覚醒が、この転換に伴う産みの苦しみのような混乱や災害を最小限にしうる、というような観点がシェアされているように思う。

 それと私が、並木さんのいいところとして思うのは、自由意志を尊重するスタンスを貫いているところだ。「自分はどう感じるか?」を問い、他人軸ではなく、自分軸で生きることを勧める。「覚醒しなければならない」「統合しなければならない」というような「ねばならない」は外しましょう、という。自分にとって心地よいからやる、という軽やかさでいい、という。