サトリと覚醒

とある転換の予感

『神との対話』核心部分について1

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ニールの『神との対話』の核心部分は、

1 物質宇宙(相対世界=現象世界)を生み出す以前の、無限の一者としてのカミは、「存在の全て」であったが故に、自らを客体として「体験する」ことができなかった。
2 カミが一者としての自らを分割して物質宇宙(相対世界=現象世界)を生み出し、そして人間という物質宇宙の創造の担い手であり、カミを認識できる知覚体を生み出した理由は、「カミあらざるもの」によってカミを体験するためである。
3 実は、この物質宇宙も神の擬似として作られた人間も、カミが自らを分割して生み出したいわばイリュージョン(仮想現実)のようなものなので、全ての本体はカミである。
4 つまり、この世にもあの世にも真実には、「カミあらざるもの」は存在しない。

以上が、基礎認識である。(カタカムナの潜象物理では、これらをカムから生じたアマ界として理論化している)(重要なのは、日本語のコトバの構造的思念としてこうした宇宙観や生命感、人生観など(カミ観)が封入されている、ということだ)

 

『神との対話』のシリーズは対話以外にも10冊ほど出ているが、この基礎認識がベースにあると思う。

 

これらのシリーズの中で語られる新たな価値観の体系に置いて例えば通常の倫理・道徳とは異なり「絶対的な悪や絶対的な善はない」といった神的視点の世界観が展開するのは、この基礎認識がベースにあることを考えると納得できる。