サトリと覚醒

とある転換の予感

日本でなぜトランプ熱が燃え上がっているのか? そして私たちはどのような方向に向かって立ち上がるべきか?

YouTubeやツイッターなどで、アメリカ大統領選において窮地に立たされているかのように見えるトランプ陣営への応援熱が高まっている。

識者からは、若干、熱暴走気味だという批判も見受けられるこの熱量の高まりはどこから来るのか?

思い浮かぶひとつ大きな要因として、中国共産党による侵略への危機感というものがあるように思える。

1 覇権を振りかざす中国におもねり、隷属的態度の自民党への失望と不安。

2 また、中国共産党の邪悪さのありのままを報道せず、かなりのフィルターをかけて報道統制をしているマスメディアへの不信。

この二つの不安要因は、米大統領選挙において、より強くネット民に認知されることになった。

管政権は、まだ法的に確定もしてない段階でバイデン候補に祝辞を送り、尖閣問題で王毅外相に言われ放題で反論ひとつしない茂木敏充外相の態度は、すでに管政権は習近平の手中にあるのか?と想像させるほどの体たらくだった。

マスコミがほとんど報道しない(セーブしている)中共の脅威とその邪悪さに不安を覚えている日本人が、中共とそして中共に侵食されている米国の左派勢力に対して本気で対決しているトランプ陣営の姿に共感し声援を送るのは当然のことだろう。日本いはそのような勇気ある政治家は一人もいないのだから。

なぜ日本のマスメディアはトランプを矮小化し、中共の邪悪さを包み隠さず報道しないのか?

そもそもからして、日本のマスメディアは、トランプの様々な実績を報道せず、故意に貶める狙いがあるかのような報道をし、国民を欺いている。この傾向は、朝日新聞などの左翼系ほどひどいが、本質は似たり寄ったりの気がする。

その原因は、日本のメディアは米国のメディアに追随しており、米国のマスメディアの主流は左派がほとんどであること、そして大手マスメディアの幹部が中共に忖度していること(日本のマスメディアは米国経由を抜きにして左翼知識人支配、中共支配という情報統制があるように思う)

ちなみに米国の若者の半数以上が社会主義を支持しているという恐ろしい事実がある。(無論、日本の若者も一般庶民も社会主義や共産主義の恐ろしさをあまり知らされていない)

米国の若者が社会主義を良きものであるかのように勘違いしているのは、文化マルクス主義的世界観に基づく教育の弊害が大きい。トランプの支持層は、良識ある一般アメリカ国民である。WASPだけではない。(トランプはメディアが報じるような差別主義者ではない)

一方、日本の保守層(左翼野党を支持しない層)は、若者ほど多く、高年齢化するほど左寄りになる。これはほぼ、テレビや大手新聞のみで情報を得る人が多い年齢層とネットで情報収拾する人が多い年齢層かの違いである。

幾分荒っぽい言い方をすれば、米国では教育とマスメディアが左翼イデオロギー洗脳装置になっているが、日本ではテレビ新聞などのマスメディアが主な洗脳装置になっている、と言える。

日本の政治家が、中国共産党におもねる理由は、トヨタなど中国に進出している大企業などへの忖度があるのだろうと思う。保守のはずの安倍政権が習近平をお招きしようとした奇行の原因もそこらへんにあるのではないか?

危機からの方向転換の道はあるのか?

適当な思いつきだが、日本の一般庶民が中国共産党の実態を知ったら、中共打倒とまではいかなくても、少なくても現在の中国とお付き合いはしたくない、と思うだろう。そうした世論が高まれば、親中政治家は立ちいかなくなり、まるで中共と左翼の監視下にあるかのような報道をするNHKや他のマスメディアも方針を変えざる得なくなるだろう。政治家は日本の存続のための職務に専念する本来の路線に戻り、マスメディアも公正な報道姿勢に立ち返るのではないだろうか?

つまり、一般庶民が真実の情報に目覚めて政治やメディアを糺す、ということが破滅路線を盲目的に進む日本国を立ち直らせ、軌道修正する有効な手立てとして考えられる。

こうした草の根の庶民のボトムアップ的な日本の変革・・・というより本来の日本らしさを取り戻す《軌道修正計案》を成功させるには心に留めておくべき重要な要素が二つある。

一つは、日本人が古来から持ち続けている精神性の復元に務める、ということ。よほど左翼イデオロギーに脳を冒されていない限り、ほとんどの日本人はそうした精神性を保持している、と私は感じる。ただ、ほとんどの人がそうした精神性が休眠状態にあるように思える。つまり、多くの人が潜在的に持ち続けていると思われる《日本人古来の精神性》というものを顕在化させる《契機》が必要である。

もう一つの重要なことは、このような目覚めを拡大させるには、その触媒となる人材が必要となる、ということがある。それを私自身はとりあえず《精神的少数者》と呼ぶ。そうした少数者は、現代社会一般の価値観にどこか馴染めず、随分と苦労した人が多いはずである。なぜなら、戦後日本は左翼的洗脳がなされ社会全体が日本古来の精神性に根ざす慣習を否定、擬似民主主義やえせ平等主義などに染まり、エリート層が率先してそのような社会にしてきたからである。そのため、その本来的な力を発揮すれば、人々を感化する力を持つ潜在能力を持つ人間が育たない社会になった。古来、日本は長社会であり、人々を導く役割の人間ほど厳しい修練を課せられ、磨かれ有用な人材として社会貢献することで日本独自の文化が育った。

現代社会はそのような慣習がなくなり、《精神的少数者》は現代社会で多くは生き場を失い、ある場合は俗悪な価値観に染まった大衆人(現代では庶民よりエリート層にも大衆人が多い)に潰されたり、引きこもりになったり、というケースも少なくないのではないかと思う。

このような、現代社会に適応しきれずに本来の力を発揮できずに埋もれている《精神的少数者》は少なからずいるはずである。

こうした少数者が、庶民の目覚めの拡大を促す触媒となることで、そのうねりは正しい方向軸を持ち得る。

日本の文化の優れた一面は、こうした《精神的少数者》の力を現実の力にするための《道》《道徳やルール》などの側面があることである。

つまり、少数者がその泥沼の中から目覚めて立ち上がり、周囲に発信し、感化力を鍛え庶民の目覚めを促していく、といったシナリオだが・・・・

 

まぁ、思いつきですが。

読んでくださりありがとうございます。