黒木華と樹木希林の出ている『日日是好日』を観た。
茶道の先生役の樹木希林の器の大きさと黒木華の演技力・・・茶道を通して成長する姿、当たり前のことの非日常性や、『受け入れる心』を会得し変化する機微を茶道の世界を通して描いていて地味にいい作品だったような・・・
ところで・・・茶道に興味があって教室に行こうと思っていたらコロナで中止になり、なぜか弓道教室に通い始めた自分。
しかし、どちらも『型』が非常に重要という点が共通している。
そして、どちらも禅のスピリットが基底にある、という点も同じだ。
映画で観る茶道の身のこなし、所作はやはり美しい、と思う。茶器や茶道の道具や、庭などオブジェや風景も被写体になるような美しさがある。
なぜ、『型』なのか?
日本の文化は、様々なものを『道』にしている。しかしその原点は、『動かぬ一点』(禅的な意味で)を中心核にしているように思う。
洗練された『型』や所作は、合理性の極致でもあるようだ。
そして日本文化における『型』は『精神』を引き出す道具的意味合いがあるように思う。
オイゲン・ヘイゲルの『弓と禅』では、師に『無心』を説かれ、ドイツ人のヘイゲルの戸惑いと格闘が描かれている。
『型』の中の精神を引き出すか否かは、その人の度量次第なのだろうが、西洋の論理哲学とは趣の異なる〈日本の精神〉は、〈体験的にわかる〉ことを重視するメソッドのように思える。
オイゲン・ヘイゲルはこの書の冒頭の方で、
日本の『道』の根底に仏教的世界観があることを指摘し、しかしそれは『非ー思弁的なものであり、実践ー沈思の実践であり、「それについて」思惟的に評論される知識には価値を置かず、「その内における」生きることにおいてくじけない力を得るようにさせようとするもの』と述べているが、優れた言い回しだと思う。
ちなみにappleの創設者のスティーブ・ジョブスが、禅に傾倒し、この書が蔵書の中にあったという。