サトリと覚醒

とある転換の予感

脱トランプしてしまった…

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陰極まり陽に転ず、じゃないけど、トランプ支援熱が一気に醒めた。
保守の人たちが割れていたり(それも掛谷氏などにナンクセ付けるトランプ応援者への違和感とか)そもそも陰謀論好きの人が混じっていたり、「なんかおかしい…」と感じはじめていた。

YouTubeのトランプ応援派の動画もいくつか観てたけど、なんか違うな、と。
確かに、バイデン陣営が勝つと「やばいなぁ」と言うのはあるのだが(現在のアメリカ民主党は明らかな左翼勢力(社会主義的政策、共産主義的イデオロギー色強い)なので保守寄りの自分としては応援したかったのだが、つきつめてみると「なにかがおかしい」というか…

結論としては、トランプも『保守だけど』やばいかな、というところに。
トランプを支持してた理由は、減税・規制緩和による「小さな政府」志向の経済政策だったり、温暖化説への懐疑的スタンスだったり、中国共産党への強硬姿勢だったり…という対共産主義イデオロギー勢力と戦っているかのようにみえる保守派的スタンスだった。

しかし、イスラエルへの入れ込み方やQアノンという陰謀論グループの主張と同調的な素振りとかが「あやしい」と感じる〈ほつれ〉が気になりはじめた。

トランプ支持者への違和感の第一は、マスメディアへの全否定的態度とネット情報への過信という極端な姿勢。ある種、カルトと同質なものを感じる。極端といえば、一部の支持層が唱える、『終末期における光と闇の戦い』における救世主的な英雄、という演出。

エスタブリッシュメント(支配層)VSナショナリスト(一般民衆)という構図における『ナショナリストの味方、トランプ』という見方でくくっている馬淵睦夫氏の論も「何か欠けている」感じがする。(馬淵氏はエスタブリッシュメントをディープステートと言っているわけだが)

疑問に思うのは、ディープステートを退治すれば世界は平和になるの?ということだ。じゃあ、ディープステートって何?ということを突き詰めると、ざっくり言って『世界政府を作って大衆を完全にコントロールしたい』人たちかな、ということになるわけだが、中国共産党が今やっていることは、その実験に見える。SDGsのようなイデオロギー色の濃いプロパガンダもそうだし、 2021年のダボス会議のテーマ『グレートリセット』然り、それたと関連すると思われる日本政府のムーンショット型研究開発制度という不気味な計画もつながりがあるだろう。

www8.cao.go.jp

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以下、私の個人的見解ですが、

ディープステートという言い方は、限定的なので、『ある勢力』と呼ぶ。

『ある勢力』=『現代文明社会の支配層』である。
例えば、地球温暖化説は真に科学的に見れば『いち仮説』に過ぎない。それを〈絶対的な定説〉として多くの人たちが信じてしまう背景にあるのは、現代科学を万能とする一種の〈科学教〉である。ダーウィンの進化論を絶対視するのも科学教である。SDGsを人類普遍の努力目標であるかのように共有させる動きは、内発的なものや自生的秩序をエリートが公式化したものではなく、利害や支配層の損得勘定による恣意的なものである(排出権などの件、グレタさんのバックの資金源など)
『ある勢力』が誘導しようとしている人類の未来図は、人間の魂、精神を含む『高度管理社会』(支配層が都合よく大衆をコントロールする)(ハイテクを活用した共産主義的社会=人々から反抗心そのものをなくす)であるように思える。
西暦400年頃の英国のマグナ・カルタあたりからイギリスの議会制民主主義は発展し、17世紀後半のアメリカ独立合戦争、フランス化革命という反面教師などを経て、『法の支配、自由市場経済社会』というアングロサクソン型民主主義は結実し、それが英語とともに世界標準となった。(日本は明治維新以降、自らの伝統的価値観(例えば武士道的世界観・禅的精神世界)を捨て、それに従った。

保守自由主義というアングロサクソン型民主主義はアメリカの建国精神となり(当時のそれは、権利より義務を重んじ、国民に厳しい道徳を課すものだった。そして信仰を重んじていた。民主主義はそのような厳しさによって維持されることが常識だった)これをアングロサクソン文明の光の面と見ると、闇の面とは、共産主義イデオロギーの侵食、浸透による影響も強いと思われる『大衆至上主義』という、独立自尊、自己責任の精神を失った社会、つまり全体主義が台頭せざる得ないような精神土壌になったことである。

支配層が、自己制御能力を失った大衆(共産主義イデオロギー勢力が意図的に失わせた面もあるが…そして共産主義イデオロギー勢力とは、『ある勢力』に属するものだが…)を高度管理社会によってコントロールすることで地球資源を守ろう、と考えたとしてそれも独善的ではあるが、彼ら自身は正義と思い込んでいるような気がする。
私自身はSDGsを〈次世代へ接続可能な〉発想とは少しも思わないが、それは江戸時代の循環型文明の高度さを知っているからである。争いのない社会というなら縄文時代の日本の遺跡からは武器は発見されず、渡来人以降の弥生時代からであるわけだから、縄文時代からあった日本語の仕組みを研究すれば当時の精神文明も知れるだろう。そのほうが未来的だ。とわたしは考える。

文明周期説によれば、アングロサクソン文明の盛衰は1600年で一巡してもう終わっている。

日本はアングロサクソン文明の末裔の支配層に隷属する必要はない。

脱トランプの話が脱線してとんでもない方向に飛躍してしまった。