サトリと覚醒

とある転換の予感

闇の世で人はいかに生きるべきか? 〜俳句で心情を読む試み

俳句で心情を読む試み

 昨夜、食事をしながらテレビの推理サスペンスドラマを眺めていたら、やたらとみんなが俳句でセリフを言うのが面白くて、ちょっと自分も俳句で「心情を残す」と言うのをやってみた。

 

例えば、上のタイトル。

『闇の世で人はいかに生きるべきか?』と言う散文的テーマを句にすると…

 

寝る前に考え、朝思いついたのだが、

『闇の世で いかに生きるか 世捨て人』

というのが、しっくりきた。

 

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表の読み

『闇の世』

〈誠〉や〈道徳〉が廃れている今の世 欺瞞や偽善が蔓り、それが当たり前になっている世の中

 

〈世捨て人〉

〈世捨て人〉とは、隠遁生活者だが、今時『山の奥の一軒家』でも世の中と切り離されているわけではない。現実的には、社会適応がうまくできない『引きこもり』がある意味、〈世捨て人〉っぽい。

 

自分自身は、引きこもりではないが、メンタリティはそれに近い要素がある。

 

世捨て人 という言葉に自分をオーバーラップさせているのだが、これは、自分が世を捨てている(今の世の中に違和感を感じる)というよりも「そういう特異な感受性の人間を今の世は捨ててるよね」という意味でもある。

 

オルテガというスペインの思想家が『大衆の反逆』という著作で、〈台頭する大衆〉によって〈追いやられている少数者〉=〈世に捨てられている人〉である。

 

つまり、『反大衆的な人間が自分らしく生きるのは苦労する世の中』だな、と。

 

裏の読み

 

さらに〈世捨て人〉をこじつけ的に読めば、『世の中(自国の行方とか、国の存亡)のことを真剣に考えない人は多い → 『世』を捨てている』という意味も『裏』に込められる。

つまり、「今の物質的な豊かさだけに満足している人は、この混濁した世でさしたる問題意識も抱いていない」と。

 

要するに多数者は「いかに生きるか」を考えない。しかし、それは「いい、悪い」の問題ではなく、「そういうもの」である。(若干、アイロニーか?)

 

まとめ

「世に捨てられてるような立場の人の方が、闇世でいかに生きるか真剣に考えてる」

 

俳句、面白い。短い言葉で重層的な意味を込められる。日本語の妙か。

 

追記

書いてて思ったのだが、「今の世に疑問を持つ人が、左翼イデオロギーに吸収されがちな様を見ると、う〜ん、と思うのだが、そういうのも一種の淘汰なのかな」と。

本当に「突き詰める」というメンタリティがあれば、「気がつく」のが自然なわけで。